活動の原点
他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない
創立者の思想に惹かれ、開校して間もない私学の女子校へ進学しました。草創期の学園には、教職員も生徒も、自分たちの手で伝統を築いていくのだという熱気がありました。
そこで教えられたのが、この言葉です。何のために生まれてきたのか、かけがえのない人生をどう生きるべきか。10代の頃から考え続けたこの問いは、単なる自己犠牲ではなく、自他ともに幸福を築くとはどういうことかを見つめる原点になりました。
活動を始めた頃の社会
1986
男女雇用機会均等法
1995
北京女性会議を契機に女性支援の流れが広がる
1996
男女共同参画社会基本法
2000
ストーカー規制法・児童虐待防止法
2001
DV防止法
国連の第4回世界女性会議を契機に、日本でも女性センターの開設や法整備が進んでいきました。一方で、結婚時の名字の選択、出産・育児とキャリア、介護、所得格差など、人生の局面で女性が自己決定しづらい状況は残っていました。
「母親は子どものために我慢するべき」という社会風土の中で、生きづらさを抱えていた女性も少なくなかったのではないか。マハロの活動は、そうした時代背景と無関係ではありません。
活動の始まり
DV防止法制定に向けた運動が活発になってきた頃、小牧市消費生活推進員会、小牧みらい塾、ウィメンズネットこまきなどの市民活動に関わっていました。
その中で、さまざまな制度のすき間にいて支援の手が届きにくい方たちと出会いました。DV被害の相談を受け、目の前の一人のために何かできることはないかと、議員、弁護士、医師などの友人知人とともに動き始めたことが、現在の活動の始まりです。
支援の根底にあるもの
スーパーバイザーとの出会いも、大きな転機でした。誰にでも困難を乗り越える力があり、気づいていないだけであること。ジェンダーに縛られている生きづらさに気づくこと。助言するのではなく、エンパワメントすること。
そうした言葉に、人間を見つめる優しいまなざしと、支援の根底にある熱い心を感じました。その後、全国女性シェルターネットのアドボケーター養成講座を受講し、具体的な支援活動へ進んでいきました。
逃げる、逃がす、だけでは終わらない
面前DVは児童虐待であると児童虐待防止法に位置づけられています。子どもの脳やその後の成長に与える影響も研究により明らかになり、厚生労働省も啓発と防止に取り組むようになりました。
民間支援者が言い続けてきた「DV被害と児童虐待は常に一緒にある」という視点が、ようやく社会にも認められるようになってきました。だからこそ、子どもと家族を一体で支える支援が必要です。
支援を続けるほどに、縦割り行政の矛盾も見えてきました。福祉、教育、戸籍など、それぞれの担当部署は根拠法に基づいて支援します。しかし、それらをつなぎ、時系列に把握する仕組みや予算が十分でない地域もあります。
当事者は避難や離婚成立の後も、さまざまな手続きに追われます。地域や職場などの人間関係を断ち切られて暮らす中で、PTSDや孤立、うつに苦しむこともあります。制度が整っても、心に寄り添い伴走する継続的な支援が必要です。
声にならない小さな声を国や地方自治体へ届けること、そして活動を継続するための基盤をつくること。その必要性を痛感し、組織として活動を続けていくことになりました。
誰も置き去りにしない社会へ
制度に人を当てはめるのではなく、一人ひとりに合わせた支援を。誰も置き去りにしない社会は、実現が難しい理想のように見えるかもしれません。それでも、そこへ向かう歩みを止めてはいけないと思っています。
声にならない小さな声を国や地方自治体へ届けるため、困難な状況にある女性と子どもを守るために、皆さまの力をお貸しください。